Archive for 10月, 2013

寛容であった出会い直後の時期


2013
10.25

ドアをしっかり閉めるのを忘れていた。もちろん鍵も鎖もかけなかった。その直後、銃を持った男が入ってきた。もし現場にいたら、犯罪了承者と犯罪者が対面しているという、とても不思議な光景を見ることになっただろう。強盗は伝統的な心理学を堅く信じているようだった。そして「財布を出せ」と言った。彼は、自分でも驚いたことに(驚いた理由は、自分が選択理論を実践していたからである)、強盗に「財布はあげないけど、お金はあげる」と言った。犯罪者は彼の投げたわずかばかりのお金を床から拾うと、逃げ去った。もしこの強盗が、外的コントロール心理学の忠実な実践者であったなら、彼は生きていなかったろうし、この話を聞くこともなかったろう。強盗が手にしていた銃は、外的コントロールの手段としてはきわめて強力なものである。友人が財布を波さないという選択をした直後に、強盗も選択理論に変わって、撃たないという選択を危機一髪のところでしたのだ。異常と思えるような選択であったとしても、選択ということが、本音のすべてである。強盗ですら外的コントロールを使ったほうがよいと思えるときでも、使わないことが可能なのだ。であるなら私たちにもそれほど困難ではないはずでしょう。人生で自分が不幸なときには、不幸の原因が他人にあると他人を責めることが多い。また、自分の思いどおりに事が連ばないときには、他人をコントロールしようとする。でもこの例からもそれが盲点であり、自分はどんな困難な状況であっても選択できるということが分かるでしょう。そうすれば、どのような相手との関係であっても幸福に満たされたものに変換させることは、そこまで難しくないということが分かるのではないでしょうか。相手をすべて受け入れて寛容であった出会い直後の時期に戻ることを選択することはそんなに難しいことではないんですよね。

不必要な罪悪感


2013
10.24

外的コントロールが支配する世界は、不必要な罪悪感で満ちている。選択理論を学べばこのような罪悪感を抱くことから解放される。多くの母親は、外的コントロール心理学に依存して、子供たちに罪悪感を抱かせようとしている。しかし、母親の期待にそむいて罪悪感を抱くのも一つの選択である。罪悪感を抱かせることに熟練した母親には選択理論の学習は簡単とは思えないが、あなたが身につければ、あなた白身も自由になって、より良い選択ができるようになっていることに気がつくでしょう。選択の白由について顕著な例がある。ある犯罪学者の行動によってうまく例証されているのです。彼は外的コントロール心理学と選択理論の間にある理論的相違は重要でないと考えていた。ほとんどの人がまずい選択と考えることを彼は実行してみた。 (さらに…)

罪悪感を選択する必要がない


2013
10.23

私たちが言われたとおりのことをするときは、自分の持っている情報に基づいてそれをする選択をしたからである。電話の場合、電話に出たくなかったら、鳴るにまかせることもできる。留守番電話機能に答えさせる。電話回線を引き抜く。誰かに言って、出てもらうこともできる。私たちの選択する行動はどんなものも、自分の頭脳の中から生まれてくる。選択理論は、あらゆる生物と同様、人間が内側から動機つけられていることを説明している。なぜ電話に出るのか。なぜその他のいろいろなことをするのか。理由を知って何が違うのか。確かに行動をしたが、それがどうなのだと、あなたは尋ねるかもしれない。電話のベルのように簡単な機械的な情報の場合、大した違いはない。つぎの信条は、もっと複雑になる。人がしたくもないことをさせようとし、誰かがあなたの行動をコントロールできると信じる場合に、選択理論と外的コントロールの間に大きな相違が見え始める。 (さらに…)

すべてが情報


2013
10.22

ベルが鳴るから受話器をとるのではない。私たちが応答したいから、受話器をとるのである。瞬時であったとしても、電話に出るときはいつでも出るのが選択だと思っているのだ。そう思わなかったら、電話に出ることはないであろう。しかしこう反論するかもしれない。ベルが鳴っても電話にでなかったら、「もし、ベルの目的は何なのだ。鳴らない電話に出ることなどまずしない」ベルの音は確かに目的を持っている。しかし、あなたに答えさせるためではない。それは情報を提供するためなのだ。ここにいる誰かと、電話の向こうの人が話したがっていることを伝えるためである。電話のベル、そして、外界から私たちが知覚するすべてのものは、休内から知覚するものを含め、すべて情報なのです。しかし情報はコントロールではない。選択理論によると、刺激は人をコントロールして何か特定の選択をさせるようなものではない。 (さらに…)

実際はまちがっていること


2013
10.21

電話のベルあるいは機械的なシグナルは外的コントロールで、自分たちを応答させるものである、とほとんどの人が考えている。次の信条では、第一の信条から推測できるもので、このコントロールは常に行動している人の外側にいる誰かである。例えば、子供に「庭の芝を刈りなさい」という親、「授業中におしゃべりをしないで」という教師、あるいは「おまえが俺を怒らせた」と妻に対して言う夫である。そして次の信条は最も破壊的なもので、夫、妻、親、教師、上司は自分の言うことを聞くことが相手のためになると信じているので、従わない選択をする人を脅し、罰を与え、褒美を与えることは、自分の権利、義務、道義的責任であると信じている。私たちは外側から動機づけられるというのが、これらの信条の基盤にあるが、これはまちがっているのではないでしょうか。 (さらに…)

強制しようとしない


2013
10.20

上司や友人に対して強制しようとしないことを知っているわけです。知人に対しても強制はしない。そして常識があるなら、見知らぬ人を強制しようなどとはしない。そんなことをしたら殴られるかもしないし、殺されるかもしれない。なぜ私たちは楽しい人生を送らないのか、そして送られないのか。なぜ私たちは実践しないのか。ほとんどは口先だけである。なぜ私たちは人々がしたくもないことをさせようとして強制しているのか。このような試みにほとんとの場合、良い結論が出ていない。外的コントロール心理学の信条を少し詳しく確認しておきたいと思います。そうすれば、ほとんどの人が実際とんなことを信じているかが理解できるようになるから。その信条が人間関係にとってきわめて有害であることが容易に分かるでしょう。この伝統的な心理学を理解する最も簡単な方法は、ほとんどの人がこれをどのように使うかを考えることである。私は外側から来る簡単なシグナルに反応して、電話が鳴ると受話器をとる、玄関のベルが鳴るとドアを聞ける、赤信号で止まる、その他の諸々のことを行う。私は、人がしたくないことでも、自分がさせたいと思うことをその人にさせることができる。 (さらに…)

二つのグループ


2013
10.19

私たちが他の人を所有していると信じるかぎり、してほしいことをしなければ、強制することにためらいはないということは当たり前のことなのかもしれません。しかし、友人に対する感じ方は異なります。友人を所有しているとは思わないし、友人に所有されているとも思わない。思いやりを示すことに加えて、自分の所有と思わないことが、友人を定義するもう一歩つっこんだ方法かもしれないですよね。新しい生き方を実際に考えることはないが、私たちは世界を二つのグループに分ける。最初のグループは、私たちが所有している、または所有しようとしている人々。愛人、妻、犬、子供、生徒、従業員がこの中に入る。第二のグループは、私たちが所有していない、または所有しようとしない人々。 (さらに…)

危機的状況に近づいていく


2013
10.18

夫婦が以前よりも良い関係を築けたとしても、一緒に生活をしている子どもたちは、抱えていた問題、あるいは今でも抱えている問題に不安を抱いている可能性がありますね。場合によっては、不幸せな結婚が子どもたちに悪い影響を及ぼさないように、彼らには感づかれぬよう装うことも可能でしょう。ただし、そのような手段を選んだとしても、根本的な解決には至らないばかりか、長期的に見れば、ますます状況が悪くなりかねません。ここで大切なことは、むしろ夫婦がより良い関係をもつようになることのほうが、はるかに子どもたちの幸せには有益だということなのです。関係が良くなることによって、同時に子どもたちも幸せを手にすることができるのです。先ほどからの話は問題が何であれ、お互いに対してとっている行動は、確実にふたりの関係を悪くする方向へ導いています。 (さらに…)

こんなにもみじめな状況


2013
10.17

相手への非難は更に続いていきます。

『「私たちにはあれが必要なのに、どうして手に入れることができないの?」「あれが壊れちゃったから、修理しておいて」僕が耳にするのはこんなことばかりです。妻は、大した仕事をしていないのに、自分が全部していると思っています。僕がどれほどのプレッシャーを受けながら仕事をしているか、彼女はまったくわかっていないんです。ときには家に帰りたくないと思う日があります。彼女は僕のことを、鬼のような人だと思っているようですが、実際には僕はそんなにひどい人ではありません。僕は彼女と同様に子どものことも愛しています。子どもがいるから、僕はこんなにもみじめな状況なのに、離婚していないんです。僕たちにいつ何が起こったのか、まったくもってわかりません。でもそんなことはしたくないので、何もしないでいます。僕たちはまだたまに夜の営みがありますが、たいしたものではありません。 (さらに…)

相手に対して大いなる不満を抱えている人


2013
10.16

なぜ今の時代、ここまで離婚が多くなってしまうんでしょうかね。常に相手に対して大いなる不満を抱えている人は多いですから。家族のために身を粉にして働いているのに、まったく感謝されていません。そんな不満を抱いている男性は今どんどん増えているようですね。こんな話を聞きました。

『妻はいつも「そのことはお父さんに聞きましょう」と言います。彼女にとっては、僕はもう男ではなく、お父さんなんです。僕は彼女の父親になったつもりはありません。いつの間にこうなってしまったのでしょうね。僕はこれまではとても冷静な男性だと思われていました。女性は僕のことをセクシーだと思ってくれていました。僕には、目標、希望、夢がありました。今や僕がもっているものといえば、住宅ローンと、批判的でイライラしていて、末娘の亭主として不足だと思っている義理の母親、そして、夫よりも子どもに関心のある妻だけです。 (さらに…)